砥部焼の歴史

なめらかな白磁と透明感のある青色、ぽってりとした質感が魅力の砥部焼は、愛媛県砥部町の特産品で、讃岐うどんの器にもよく用いられており、繊細でありながら素朴で、懐かしさを感じる磁器です。

磁器としての砥部焼が誕生したのは1777年、大須藩の第9代藩主、加藤泰候公の時代。
陶石に恵まれた砥部では古代から伊予砥石の生産が盛んでしたが、その砥石屑を用いて焼き物を作り藩の財政を立て直そうとしたことから、砥部焼の歴史は始まりました。
白地に藍の砥部焼を生み出したのは、杉野丈助という人物。
山の斜面の五本松という場所で、水車を用いて砥石屑を砕き、山の松の木を薪にして焼いていました。
この頃から明治時代の初めまでの作品は、それ以前の陶器も含めて古砥部と呼ばれます。
最初の頃の古砥部には素朴な鉄絵が描かれ、徳利や皿、油壷等の日用品として用いられました。時代が下るにつれ繊細さを増し、主に食器などに用いられるようになります。この間、向井源治という人が川登陶石を発見したことで白磁の白色が冴えるようになり、1848年にはトンバリというレンガでできた窯も発明されました。

廃藩置県によって京都や唐津、瀬戸等から新しい技術がもたらされ、明治中期からは砥部焼にも変化が見られます。
窯の改良や機械ろくろ等により増産が可能になったうえ、万年石の発見によって薄黄磁も生まれ、さらに錦絵のもの、大型の花瓶等、格調高い作品も多く生産されるようになりました。
大正時代には第一次世界大戦のころに輸出が盛んになり、海外では「伊予ボール」と呼ばれて親しまれました。
昭和51年に国の伝統工芸品の指定を受け、愛媛県指定の無形文化財に登録されたのは平成17年のことです。

現在では、白磁、青磁、白磁に藍の染付、鉄釉による天目の4種類が基本となっていますが、伝統にとらわれずデザイン、絵柄、形等に創意工夫が凝らされたものも生産されています。
砥部焼には、日用品としても装飾品としても、全国に根強いファンが多く存在しています。